結婚してから
早々に子宝を授かる事ができ
第一子である、
娘を迎える事ができました。
よく言われるように
右も左も分からず
いきなり「お母さん」
というポジションになり
しかもインドネシア出産で
インドネシアの習慣も分からず
ほぼ、義母・義姉に
おんぶにだっこで
子育てが始まりました。
1か月程
家の中でダラダらさせてもらい
ずっと我慢していた
海へサーフィンしに
行かせてもらっていました。
妊婦の間もウズウズして
波の無い海にロングボードで
浮かんだりしていた位。
(後、パパに止める様に言われてしまいました。)
思いっきり乗ろうと
張り切って入っていきましたが
筋肉が取れてしまった身体での
サーフィン復帰は
ままならないのでした。
クタクタになり、
悔しい気持ちとスッキリした気分で
海から上がり
娘を迎えに行くと
道中、木陰で赤ちゃんを
膝に乗せて昼寝している
見知らぬおばあちゃんを見かけました。
義姉に、「テレマカシー!」
と言うと、井戸端会議中の
義姉が小走りで
さっきのおばあちゃんの所へ。
あのおばあちゃんの膝の上の
赤ちゃんが娘だったのでした(笑)
インドネシアでの子育ては
本当に楽でした。
朝になると、近所の人が
娘を連れて行ってくれ
夕方になると義姉が入浴と
寝かしつけまでしてくれる。
文章にすると、
本当にいい環境だったなぁ、と
つくづく実感。
初めての事だったので
当たり前なのか、と
感謝もしていなかったな、と
反省してしまいます。
恥ずかしい。
出産して1ヶ月は
義母がバリに居てくれたんですが
ジャワへ帰ってしまってから
やはりちょっと大変で、
1ヶ月位
私たちがジャワへ行く事になりました。
サーフィンはできなかったんですが
バリ以上に楽させてもらいました。
ジャワには義妹が居ます。
パパの実の妹なので(そっくり)
それはそれは、
娘を可愛がってくれ
ずっと抱っこしてくれていました。
私は授乳以外は
呼ばれず、
ダラダラさせてもらっていました(笑)
今でも、あの1ヶ月は
最高だったなぁ〜と思います。
人生で、あんなにゆったりした時間は
過ごしたことはありません。
その後、何もできない私を
見かねてか、
家族で日本へ
移住する事になりました。
(追い返された様な。)
子守の居ない日本への旅は
私には、とてつもなく
辛く長い修行でした。
座ると泣くので
立ちっぱなしで揺れていました。
ガルーダインドネシア航空は
ベルトマークが点灯しても
必死で寝かしつける私を
許容してくれました。
日本に移住してから
一気に寝返りやつかまり立ちを
クリアして、歩き出した娘。
2歳になった頃
初めての里帰りをしました。
動き回る娘に
飛行機のシートベルトで固定なんて
無理な話で
着席さえしてくれません。
赤ちゃんの頃から成長せず。
同じような年ごろの
お友達を見つけ、
その家族の席で遊びながら
フライトを終えました。
自力で乗り越えられたのは
成長でしょうか。
インドネシア人家族だったのと
インドネシアの飛行機だったので
自由にさせてもらえ
とても気楽な移動時間となりました。
今は、ガルーダインドネシアのチケットが
高価になってしまい
利用する気になれませんが
まだ、あの家庭的な機内なのか
確かめてみたい所です。
日本に戻るフライトでは、
お友達が見当たらず
暇つぶしに何回もトイレに行く
という行動に出た娘。
通路側の方々がやっている事を
チェックしながら行き来する娘。
外人でも全く気にせず甘えまくる娘。
末恐ろしい。
乗客の皆さんが
嫌な顔もせず
かまってくれて
本当に助かりました。
日本では、
こうは行きません。
乳幼児を連れているだけで
嫌な顔をされる方に
よく出くわします。
初めての里帰りでも
娘は、誰にでも抱かれ
誰のバイクでも乗り
いとこの小学校にも連いて行き
授業を受け(妨害?)
現地の言葉も通じない子供達と
楽しく過ごしていました。
うらやましい。
バリ在住の日本人の友達親子と
遊具のあるレストランへ
(プレイグラウンド)
おしゃべりしたくて
行ってみました。
遊具には、一応
見ていてくれる人がいますが
ビーサンにワンピースの
恰幅のいいおばあちゃんなので
ちょっと不安でした。
昔の日本の公園にあった
丸い遊具。箱ブランコ。
日本では、事故が多発して
撤去されてしまいましたが
バリでは、現役でした。
あの箱ブランコに、
2歳と3歳の幼子を
乗せて、マックスに揺らす
おばあちゃん。。。
私と友達はその光景に
度肝を抜かれ
止めに入りました。
おばあちゃんは、
「???」でした(笑)
子供達は、何も言いませんでしたが
固まっていました。
が、すぐに違う遊具で
現地の子供たちと
遊び始めました。
シートベルト無しで
幼児2人、固まって乗っていた光景を
思い出すだけでゾッとします。
インドネシアには、遊具のある
子供達が遊べる公園が
ほとんどありません。
公園より交通インフラや
生活インフラの整備が
先だからです。
ホテルの中や、動物園などの
施設の中には
遊具がありますが
限られた子供しか
遊ぶことができません。
スーパーの中に
有料のゲームセンターがあり
そこでも遊べます。
あまりルールや規制がないので
見ているとハッとする光景が
あったりしますが
事故は見た事がありません。
ここでは、割と多くの子供たちが
遊べている印象です。
普段から
自然が多い環境で
舗装されていない道や
バイクの後ろに乗っているせいか
バランス感覚が
優れているようです。
里帰りは、ほぼバリに
滞在します。
2番目の義兄家族がいるし
住んでいたので。
義兄の奥さんの義姉は
パサール(市場)
で飲食店を営んでいました。
娘を初めて
パサールへ連れて行った時
とても青ざめた顔を
しました。
大きなパサールではなく
ローカルのパサールなので
道は舗装されていません。
雨あがりは、水たまりなどの
トラップがあります。
オイルと排気ガスと
タバコとドリアンと
生肉とコーヒーと
いろんな臭いに襲われます。
私もあそこでは、
食事できません。
ブンクス(持ち帰り)です。
娘のパサールデビューは、
不機嫌になってしまい
早々に引き上げる事になりました。
大抵の事は平気な娘でしたが
食事は、受け入れてくれず
困りました。
ウィンナーとカルピスを
こよなく愛していました。
日本から持ってきた食材と
マクドナルドと
日本食レストランと
イタリアンレストランで
乗り切りました。
いつか、インドネシア料理も
好きになってくれるかな。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
次回は、パパ一人の里帰りについて
綴りたいと思います。
またお付き合い頂けると幸いです。

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