いろんな違法薬物があります。
それらは、廃人へ導く毒薬なんだろうと
なんとなく想像しています。
アルコールはそうではないから
自由に、いつでもどこでも
購入できるんだろうと思っていました。
深夜の酔っ払い
クラブの酔っ払い
レイヴの酔っ払い
いろいろ見てきましたが
全く気にしていませんでした。
父親が廃人化するまでは。
アルコールは、かなりヤバイ薬だと
私は思います。
父は私が物心ついた頃には
アルコールヘビードリンカー
家の物置には
ビール瓶ケースがいつも2段
積んでありました。
時代的な影響もあったんだろう
とは思います。
ヤクザがカッコイイ描写の
映画やドラマが流行っていて
憧れていたんだろうとも
思います。
酒に強く、喧嘩に強く
女は暴力で従わせるのが
漢だ!
みたいな(笑)
控えめに言っても
クズですよね。
根本的に大人しくて
怖がりな人なので
アルコールで変身できるのが
気持ち良かったのかも
知れません。
共働きで、母も収入があったからか
父は給料の半分を
アルコールに費やしていた様です。
父の母へ対してのDVに
気づいたのは中学生の頃でした。
酔っ払って暴れるので
アルコールが抜けると
覚えていない様でした。
始めて目の当たりにした時は
ショックでした。
テレビでやっている
ドラマのお話だと
思っていましたから。。。
まさか我が家で???
ただ私たちの兄姉妹は、
ヤンチャだったので
ケンカが強く
父を押さえつける事ができ(笑)
家で暴れたのは
その後1回だけでした。
つまり2回取り押さえました(笑)
ただ、ずっと昔から母は暴力を
受けていたらしいのです。
バレないようにしていたらしいのです。
我慢する事で守ってくれていた様で。
強めの子供たちを産んでいるのに。。。
”ありがとう”より
”なぜ?”と
強く思いました。
それから離婚を勧めていましたが
天涯孤独の生い立ちのせいか
離婚=降参=負けが嫌だったのか
絶対に離婚はしないと
言っていました。
大きな変化が起こったのは
定年後でした。
おかしな行動が増えていきました。
物心ついた頃には
ヘビードリンカーの父だったので
おかしな行動に慣れ過ぎていて
気づくのが遅くなったと
思います。
悪い輩に連れ回され
あちらこちらで、
支払いだけさせられたり
通報されて父だけ
逮捕された事もありました。
最後には財布を盗られて
父は駅裏に捨てられていた様で
救急車で病院へ運ばれました。
アルコールが抜け、目覚め、
徒歩で帰宅しました。
病院の請求書を持って。。。
まともに歩く事もできず
一日中ブツブツ何か言って
排泄物を漏らしてしまう状態に
なってしまいました。
夜中に電話が鳴ると
絶対、警察でした。
酔っぱらって寝ているから
迎えにくるように、と。
警察署に迎えに行った事も
ありました。
そんな状態でも
アルコールが抜ければ
元に戻るだろうと
楽観視していましたが
そんな簡単な事ではありませんでした。
アルコールという麻薬に
依存していないと
楽しみを見いだせなかった父は
私の目には、”無の人”に見えます。
何も無い人。
そして、家中の電気製品を
破壊し始めたのでした。
「どうしたの?」と聞いたら
「あいつらが攻めてくる。」と。
「あっちの世界からくる。」と。
すごく真顔で。
目はイッちゃってましたが。
これは、治らないかー。。。
とりあえず家電製品を守るために
部屋中に鍵を取付ました。
入院できる精神病院を探して
診てもらえる所へ連れて行きました。
まともに歩けないし、立てないので
車に乗せるのも大変でした。
3つ目の病院で
やっと受け入れてもらえ
即、入院でした。
アルコール依存症患者は、
なかなか受け入れてもらえない現実に
正直、焦りました。
「おかしくありません。」と
言われてしまうのです。
そして、精神科医のお医者様
ちょっと変わった方多めでした。
精神科選びは、難しいんだな、
と思いました。
最上階の鉄格子の独居房に
一週間居たそうです。
やはり、ずっと何か騒いでいたそうです。
少しずつ下の階へ。
6人部屋になると
面会できるようになりました。
会いに行ったら
なぜそこにいるのかも
分からない様で
怒っていました。
「早く出せ!」と。
アルコール依存症の診断を受け
改善プログラムに沿って
毎日を過ごすみたいでしたが
ほぼ全員が同じ病気でした。
老若男女いろいろですが。
入退院を繰り返している人も
いる環境。
常連さんの自慢(?)話を聞いて
次は、入退院を繰り返している人に
憧れ始めた様でした(笑)
半年間の入院生活を終えて
シャバに出てきた父は、
怖がりなだけあって慎重でした。
また入院は、したくない様でした。
父が入院中
悪い輩が家へ訪ねてきた事が
ありました。
居場所を聞いてきたので
お断りしました。
教える事はできません、と。
強面の輩が、距離を詰めてきましたが
私は引く気はありません。
負ける気もありません。
ヤンチャだったので(笑)
「2度とここへ来ないでください。」
と、丁寧に詰めて伝え
追い返しました。
それから、その輩を街中で見かける事は
ありましたが
近付いてくることはありませんでした。
戻ってきた父は、早朝の散歩と
夕方の大衆温泉へ通う日々を
過ごす様になりました。
悪い輩達と出くわさない様に
していた様でした。
そして3年後
また起き上がれなくなる様になりました。
温泉でアルコール摂取していたのです。
バレてないと思っていたようで
笑えます。
そして
自発的に入院する事になりました。
この頃には
自分でも恐怖心を抱くようになっていたのか
身体の変化を感じた様で
いろんな事に消極的になっていました。
3か月の入院生活をを終え
完全に私が管理しなければならない
生活になりました。
まだ母が居たので
気持ち的に100%背負う感じ
ではありませんでした。
アルコール依存症は、
一生アルコールを我慢し続けなければ
ならない病の様です。
自分ではコントロールできないらしく
飲み続け、求め続けてしまう。
父の場合は、
排泄物が大解放され、
ずっと誰かと会話し続け
誰かが見えている。
何かが聞こえている。
そんな感じでした。
そんな訳で
現在もアルコール依存症と
共生しています。
この病気と闘う為に
ご近所の方々に
とても助けられています。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
次は、父親の認知症について
綴りたいと思います。
またお付き合いください。
よろしくお願いいたします。

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