バリ島で過ごした新婚生活

むかーし
国際結婚をして
バリ島で暮らしていた頃
おもしろい事が
いろいろありました。

平屋の戸建てが20軒程並ぶ
高い塀で囲まれた所に
住んでいました。

その中には
小さな店、助産院、
がありました。
お土産のネックレスや服を
作っている家も数軒あり
割と裕福なエリアでした。

私には見分けがつきませんが
パパ曰く
”いろんな島の人が集まっている”
らしかったのです。

オーナーが
優しいバリ人で、
簡単なインドネシア語で
よく話しかけてくれました。

インドネシアは”島”
によって、言葉がちがいます。
”地域”によって”なまり”も
あるそうです。
共通語のインドネシア語を
学校で学んでいる様です。

ちなみにパパは、
ジャワ島(母)とマドゥラ島(父)
の間に生まれたので
ハーフなんだそうです(笑)
同じインドネシア人なのにね。

ちなみにうちの子は
クォーターになるらしいです。
ハーフだと思っていますが(笑)

そのエリアには、いろんな
商売人というか
本当にいろんな人が
やってきました。

「エースエスエス」と
自転車の荷台に
クーラーボックスを積んで来る
アイスクリーム屋さん。

絶対半分溶けていると思い
購入しませんでしたが
パパは、大丈夫だと
言っていました。

パパの「大丈夫」も
あてになりませんが。

「ブーブー」と
小さい子供をたくさん連れて
門をたたく
物乞いのお母さん(らしき人)

物乞いは、ツーリストだけに
しているわけではなく無く
住人にもしていました。
しかも家なので
一度渡すと毎日来るんだそうです。

パパに止められていたので
居留守を決め込みましたが
なかなかしつこく
門をたたく人もいました。

ちなみに
たくさん連れている子供は
本当の子供じゃないとか。
次の日は
違う子供を連れているとか
試行錯誤ですね(笑)

誰もが生きていく為に
いろんな知恵(?)を
ふり絞っているんだな、と
思いました。

インドネシアは、
大きいごみ箱が
外に置いてあります。
分別はしていません。

毎朝、エリアの外の空き地に
ごみを捨てます。
そのごみの山は、片付く事は
ありませんが
高くなる事もありませんでした。

なぜならペットボトルを集めて
収入を得ている人
缶類を集めて
収入を得る人が拾っていきます。

そして、生ごみは、
動物たちが食べてくれます。

バリ島は、犬がたくさん共存しています。
飼い犬は、門番犬がほとんどで
室内犬も、たまに見かけました。
番犬しているときは
ものすごい勢いで吠えていますが
家の門じゃない所では
吠えず、スルーなんです。

牛も散歩していました。
顔の位置が高いので
ちょっとドキドキしながら
すれ違ったりしました。
向かう方向が同じだった時は
焦っていました(笑)

家の前に置いてある
ごみ箱の中のごみを
食べに来るのも
この散歩中の事です。

猿回しも
来ていました。
子供たちが集まって
盛り上がっていました。

日本だと
ちょっと大きい舞台でやる様な
自転車芸を
やっていました。
終わったら観覧料を
支払うシステムでした。

猿と言えば
ウブドという町が有名で
お土産屋さんが
ずらっと並んだ通りの入り口辺りに
強気な猿軍団がいました。
ツーリストの帽子やサングラスを
いたずらっ子の様に
盗って行ってしまいます。

動物園の猿とは違って怖い。
本気。
家の門を叩く物乞いの人に
負けてないと思います。
オドオドしていると
狙われるので隙を見せられません。
本気VS本気で。

助産院があったので
よく産気づいた妊婦さんが
歩いていました。
そんな時はドキドキです。

でも「あっ」という間に
出産を終えて
次に日には帰って行きます。
そして、違う人が歩いている(笑)

助産院ですが
ちょっとした体調不良時も
診てもらえました。
薬を教わって、
薬局に自分で買いに行きます。
もちろんパパに行ってもらいます。

ここの先生がジャワ人で
バリ人の旦那さんと結婚したため
イスラム教からヒンドゥー教に
変わったそうです。

宗教、難しいです。
日本人には、理解できない世界だな、
と思います。
改宗した人に対して
腫物の様な扱いだな、
と感じました。

パパは、誰にでも優しく
差別したりしないので
ここの先生とも仲良しでしたが
良く思わない人も居て、
異様な空気感でした。
皆、日本人の私には
優しくしてくれるのになぁ
と理解に苦しみました。

ありがたいことですが、
同じインドネシア人なのになぁ
と、腑に落ちませんでした。

インドネシアの朝は早いです。
パサールという市場が
早朝からやっていて
そこで食料を入手します。
お弁当屋さんも早朝から
出ています。
昼には腐っている可能性が
あるので確認必須です。
カフェの様に
コーヒーや紅茶、軽食の
屋台も出ています。

パパの兄嫁、義姉も
パサールで屋台を出していました。
料理が上手くて
気が強くて
おしゃべりなので
ピッタリな職業だと
思っていました。

どうやら大家族の
9人兄弟姉妹の5番目だとか。

なるほど。

最強ですよ。

パサールはいろんな場所で
やっています。
場所によって営業時間は違います。
ジャワ人が集まっているパサール。
バリ人が集まっているパサール。
と、分かれていて
料理が違います。
宗教的に
ヒンドゥー教は、牛
イスラム教は、豚を
食べないので
別々になるのは仕方のない事
ですね。

パサールは、とても臭いです。
野菜、肉、魚、の臭いと
揚げ物料理、コーヒーの臭いと
排気ガスの臭いが
渦巻いているのです。

日本では、出会わない
臭いです。
妊婦時代は本当に
吐きそうでした。
ドリアンとか、くさやとか
比じゃないのです。
建物の中じゃないのに、
屋外にあるのに臭い。

パサールには
いろんな種類の店があります。
ツーリストも利用でき
激安でおみやげ物を大量に
売っている所もあります。
少量の購入もでき
値段交渉もできます。
パパはローカルですが
値切ります。執拗に(笑)

インドネシア料理は
揚げ物が多いんですが
香辛料を使った味付けが
めちゃくちゃ美味しい。

ナマズの素揚げは、
ハマりました。
魚料理は、抜群に美味しい。
クマンギというハーブの葉と
一緒に食べるのが
最高に美味しいのです。

牛肉のスープも最高でした。
ご夫婦でやっていた屋台の
ラウォンが抜群に美味しかった。
パパの地元のスラバヤ料理です。

日本に移住して
3年ほどでご主人が
他界されたと
義兄から知らされました。
もう、あのラウォンが
食べられないなんて
信じられません。

パパの同郷のご夫婦で
クタビーチで
屋台を出していたのですが
大きな鍋を毎日抱えて
乗合の小さなバスで通っていました。
おじいちゃんが
おばあちゃんと鍋をバスに乗せ
おじいちゃんは、店の片付けをしてから
バイクで帰って行く姿を
思い出します。

あの頃のバリは良かったなぁ
と、懐かしく思い出します。

最後までお読みいただき
   ありがとうございました。

次は、バスで里帰りした事を
   綴りたいと思います。

またお付き合い頂けると幸いです。










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