インドネシアのジャワ島で
結婚式を挙げました。
むかーしの事です。
お相手はインドネシア人の
もちろん、ジャワ島の方です。
ロマンチックに
聞こえがちなんですが
パパとは海の上で出会いました。
サーフィンの波待ち中でした。
インドネシア旅行中に
現地人と恋に落ちる話は
ありがちで
現に結婚してインドネシアに
住んでいる日本人の方は
たくさんいらっしゃいます。
さすがは、南の島。
コミュニティーがあるくらい
日本人の方が
住んでいらっしゃいます。
ちょっと安心感がある
国際結婚の様に思います。
パパとは出会って5年くらいで
結婚に至りました。
ずっと友達だったので
延長線上に
結婚があった感じでした。
私の母が反対していましたが
パパが来日してからは
とても頼りにしていました。
新婚生活はバリ島で
送りました。
インドネシアで
一年通して暮らしてみて
初めて
日本の四季の素晴らしさを
思い知りました。
第一子を
バリ島のデンパサールにある
大きな病院の中の
産婦人科で出産しました。
娘が誕生してから
義姉(兄嫁)と義母と義妹に
頼りまくっていたのですが
「日本に帰った方がいい。」
と追い返されてしまいまして(笑)
私の海外生活は
打ち切りとなりました。
日本人とインドネシア人
の違いはと言えば
一番、感じるのは
”親を大切にする事”です。
外人の男の子は
ほぼマザコンです。
ちょっと気持ち悪いなと
思ったこともありましたが
今は、日本人にも
必要な習慣なのではないかと
思っています。
自分が母になったからかも
知れませんが。
里帰りした際
カリマンタン島に住んでいる
義兄(60歳)が
「OH,MAMA~」
と義母を抱きしめていました。
チラッと私の方を見て
ニヤッとしていましたけど(笑)
素敵なシーンでした。
インドネシア人は、家族・親族との
関係性がとても強く
めちゃくちゃ遠い親族にも
結婚の挨拶に伺いました。
いろんな町に行けたので
とても楽しい観光になりました。
親族の方々は、
言葉が通じないと思ってか
話しかけられなかったので
楽でした。
よくおしゃべりしてくれたのは
義母の母、義祖母でした。
もう、他界してしまいましたが。
昔、日本軍が来ていた事を
教えてくれました。
「おにぎり」「さよなら」
などの言葉を教わったそうです。
そして、感謝していました。
私は全く知らない日本人の方。
私も、感謝です。
その方のお陰で
日本人である私を快く
受け入れてくださる訳ですから。
ある町では、”日本人が来る”と
日本の音楽を流してくれていた町が
ありました。
舗装されていない道、
トイレのない町でした。
外の草むらで用を足す町でした。
その町でも「さよなら」と
声をかけてもらいました。
どこに行っても豪華な料理で
もてなしてくださるのですが
満腹だし、トイレ必須だし、
申し訳ないんですが
早めに失礼する事に
なりがちでした。(笑)
インドネシア人は、親族にとどまらず
同じ町、ご近所さんとも
結びつきが強いんです。
同郷愛。親戚待遇です。
パパの同郷出身の
男の子の奥さんの実家へ
お邪魔したことがありました。
外でBBQピクニックしてくれました。
ココナッツの皮を燃やして
ヤギをご馳走して頂きました。
とにかくおもてなしの心が
どこへ行っても溢れかえっています。
出産の時も驚きました。
親、兄家族が来てくれて
お腹をさすりながらお祈りが
始まるので
陣痛を忘れてしまった瞬間が
ありました。
とにかく気持ちというか
想いというか、優しさというか
が、溢れています。
私が「痛い!痛い!」言っていたので
産後ナースが「イタイ?」と
イジッてきました。
そこにも優しさがありました。
きっと、外人である私への
気配りなんだろうと思います。
産後、入院中
パパの同郷の男の子が
徒歩40分かけて
お見舞いにやったきたのも
驚きました。
滞在時間10分で、
帰っていきました。
これも”気持ち”
なんだろうと思います。
その男の子は、妊娠中、
用事でパパがジャワ島に帰省していた時
心配してご飯を買ってきてくれました。
(外食してきたなんて言えませんでした。)
朝も、昼も、夜も。
次の日の朝も。
バリでTAXIを使う時は、
必ずパパの同郷の子のTAXIを
呼びます。
SURF SHOPも同郷の
おじさんの店を使いました。
食事も、同郷の屋台で
食べることが多かったです。
同じメニューでも
同郷がやっている所を
探したりするくらいです。
そして、その方々は
私を親戚の様に気遣い
優しく接して下さいました。
すぐに、仲間に入れてくれる
感じでしょうか。
とても馴染みやすかった様に
思います。
本当に
家族の結びつきが強い様で
パパは、プライベートな性の相談も
お兄さんにしています。
夫婦間のスキンシップから
女性の体の変化まで。
完全に信じきっています。
間違いを指摘しても、
お兄さんを信じているようでした。
はじめは、やっぱり
キモイと思いましたが
どうやら文化と言うか
人種と言うか。
家族に悩みをオープンに相談できるのは
羨ましいことです。
日本人は家族に性について
話題に出せない文化ですよね。
日本人の私がちょっと
しんどかったのは
毎日誰かが家に居た事です。
義母が、一ヶ月間
ずっと居たり。。。
義姉が子供を置いて行ったり。。。
5歳の姪っ子の
ママゴトに付き合わされ
新しいインドネシア語を
習得させて頂けたので
良かったんですけどね。
これも、インドネシアでは
普通の事の様です。
娘が生まれ、
しばらくしてから義母がジャワ島へ
帰っていきました。
朝ごはんを食べ終わった頃
近所の小さな店で働く
女の子(20代半ば位の)が
娘を迎えに来るようになりました。
「掃除と洗濯の間、見ててあげる」
と、連れていくのです。
ベビーシッターとして
働きたいわけでもなく。
そのうち、また違う子が
「私も見ててあげるから
私に預けて欲しい。」と
ちょっとした
近隣トラブルに
なりそうな事がありました。
近所で隣の家同士のケンカを
見た事がありました。
どうやら出身の島が違うと
争いごとになるんだそうです。
両家とも爆音で音楽を流しながら
ののしりあっていました。
後に収まったのですが
その家で、奥様方の井戸端会議が
行われるようになり、
私を呼びに来るんです(笑)
怖い(笑)
インドネシアの生活は
とてもおもしろかったし
今でも里帰りの度
おもしろい事があります。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
次回は、インドネシアで暮らした
新婚生活について
もう少し綴りたいと思います。
またお付き合い頂けると幸いです。
国際結婚した私たち
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